私の小手毬畑

久しぶりに、以前住んでいた大阪のマンションに行ってみた。
懐かしいけれど、さすがにもう「我が家」って感じはしない。

マンションの隣にグラウンドがあって、その前に小さな公園がある。
私がそのマンションに引っ越した翌年に、
その公園に小手毬の群落が有る事に、半年経って気が付いたのだが、
花も終わりかけで、雑草の中に埋もれていて、、、
青息吐息の可哀そうな状態だった。
「気が付かなくてゴメンね
 これから私がお世話してあげるからね」

「私の小手毬畑」
勝手に名前を付けて、
休みの日に草取りやゴミ拾いをして大切に育ててきた。
公共の公園で一人草取りをするのは、ちょっと勇気が要ったけど、
まあ、悪いことしてる訳じゃないから頑張った。
暑い中、長靴はいて軍手して、汗ダラダラ流しながら草取りして、
キレイになっていく公園に満足してた。

だけど、なんと会社をリストラされ、
縁あって奈良に引越すことになり、
7年続けた小手毬畑のお手入れもできなくなった。
それから毎年春になると、小手毬が気になっていた。

久しぶりに見た小手毬達は、見違えるほど立派に育ってた。
株の間の雑草を一生懸命抜いていたのに、
いまや雑草の生える隙間が無いほど隆々と育ち、
蕾をたくさんつけて、堂々たる茂みになっていた。
花盛りを見られたらもっとよかったけど、
でも、十分満足した。
もう私の手助けは要らないね。
キレイな花をたくさん咲かせて、
みんなに可愛がってもらうんだよ。
「みんなの小手毬畑」

又いつか会いにくるからね。

夏は来ぬ

近くの山で、ホトトギスが鳴いている。
トウキョウトッキョキョカキョク
テッペンカケタカ
夏は来ぬ♪
(まだ梅雨の真っ最中ですが)
鳥さんの鳴き声を、意味のある言葉で聞き分けるのは
日本人特有の感性らしい。
ウグイスの鳴き声はどう聞いても「ホーホケキョ」なのに、
外国の方の耳には、単なる鳴き声にしか聞こえないそうな。
鶏の鳴き声は「クックドゥドゥドゥ」だったっけか?
面白いね。

ずっと道草食ってたらこんな事になってた。

たまには脇道に入るのも、又一興。
見たこともない景色に遭遇したり、
名も知らぬ小さな花が咲いていたり、
思いがけない人と出会えたり、
自分の意外な一面を発見したり。
友達が増えるっていいもんだ。
生きてるって素晴らしい!

さくら

ぼくらはきっと待ってる
君とまた会える日々を
桜並木のみちの上で
手を振り叫ぶよ
#
どんなに苦しい時も
君は笑っているから
くじけそうになりかけても
頑張れる気がしたよ
かすみゆく景色の中に
あの日の歌が聞こえる
#
さくら さくら 今咲きほこる
刹那に散りゆくさだめと知って
さらば友よ 旅立ちのとき
変わらないその想いを 今
#
今なら言えるだろうか
偽りのない言葉
輝ける君の未来を
願うほんとの言葉
移りゆく街はまるで
僕らをせかすように
#
さくら さくら ただ舞い落ちる
いつか生まれ変わる時を信じ
泣くな友よ 惜別のとき
飾らないあの笑顔で さあ
#
さくら さくら いざ舞い上がれ
永久にさんざめく光を浴びて
さらば友よ またこの場所で会おう
さくら舞い散るみちの
さくら舞い散るみちの上で