さよなら

実家のお寺が、とうとう解体作業に入ったらしい。
パワーショベルで一気に壊すような事はしないで、
瓦を取り去り、柱を取り除き、といった具合に
丁寧に解体していくそうな。
先日実家に戻った機会に、
これで見納めなんだと思って「さよなら」を言いに行った。
奥座敷に正座して、柱や床の間を眺めていたら、
涙がボロボロこぼれてきた。
父が亡くなった時とか、
人と永遠にお別れをしなければならない時に、
どうしようもなく泣いてしまった経験はあるけれど、
建物とさよならする時にも、泣いてしまうとは思わなかった。
自分でも想定外だった。
「涙が止まらない」という表現があるけど、
まさにそんな感じで、
たった一人座敷に座って泣いていた。
もう、ここに座る事は無いのだ。。。
心のおもむくまま身を任せ、ひたすら泣いた。
小さい頃、柱にクレパスで書いたいたずら書きも無くなってしまう。
学校がお休みの日には、
一休さんのように、長い廊下を雑巾がけさせられて、
嫌だったなぁ。
腹いせに、廊下にローソクを思いっきり塗りたくって、
なのに、誰も通らないから自分で滑って遊んだっけ。
イタズラのお仕置きに
ローソクの件とは別のイタズラだったと思う)
兄貴と二人、本堂の柱に縛られた事もあったなぁ。
僧侶である父の後ろに兄妹3人で座らされて、
長い長いお経を聞かされるのも嫌だった。
トイレに行くのに、15メートル程ある廊下を通らないといけなくて、
しかも電気のスイッチは、その15メートル先にあって、
(手前につけて欲しかったヨ)
真っ暗な廊下が怖くて、夜中に一人でトイレに行けなかった。
そのせいでオネショもしたなぁ(*^_^*)ゞ
廊下の雨戸をとっぱらった縁側に兄妹で並んで、
井戸で冷たく冷やしたスイカを食べた。
五右衛門風呂だったし、カマドもあった。
戸締りなんてした事もなく、
(一応玄関の鍵は閉めたけど、裏は鍵すらついていなかったので意味なし)
あけっぴろげのままで蚊帳で寝る涼しさ。
楽しかった事、悲しかった事、
なにもかも、すべてが懐かしい。
そして、すべてが無くなってしまう。
座敷の神様や便所の神様、八百万(やおよろず)の神様たち。
今まで見守り育ててくれてありがとう。
さびしいけれど、お別れです。
さよならです。
なんか、湿っぽい話になってしまったな。。。