十河さんの手記です

 この度、私は永年勤務させて頂いた
CBCイングスカンパニーを退職することとなりましたので、
紙面をお借してここにご報告させて頂きます。
定年後、5年間、引き続き再雇用して頂いていおりましたが、
3月末をもちまして無事、退職の運びとなった次第です。
在職中、皆様方には一方ならぬご支援ご協力を頂き
誠に有り難うございました。
また、ご迷惑をかけたことも多々あったかとは思いますが
悪しからずご寛恕の程お願い申し上げます。
今後は一市民として外部からイングスカンパニーの発展を
見守っていきたいと考えております。
さて退職するに当たって管理課から、
何か一文を寄せる様にとのことですで、
少し昔話などをさせて頂くことに致します。
私が新聞の募集広告を見てイングスに入社したのは今から22年前、
昭和62年10月のことでした。
入社当時、JR加美駅近辺にあった工場はまだ稼動するに至らず、
前工場の残骸整理と新規設備工事を並行して行っているという状況で
当初、私も仕事がなく同僚数名とともに
八尾空港に近い関係会社(真空蒸着・塗装)に
2ヶ月近く出向しておりました。
漸く工場が稼動しても従業員数が20人にも満たない小さな町工場。
人員不足は如何ともし難く、現在の元木顧問(当時社長)、
森本社長(当時専務)までもが本業務もそこそこに
連日現場作業の応援に入るいう状況が続いておりました。
なかでも渡橋常務などは、塗装マンとして悪戦苦闘されていて
(実は塗装は初めて)日々悶々(?)としていた時代ではありました。
 森本社長も夜勤専任(?)の蒸着オペレ−ターとして
長期間実作業に従事されていたのには、全く頭が下がりました。
今では想像も着かないことでしょうが、
この事業を何とか成功させたい」という社長の”熱い思い”が
従業員の心を打たない筈は有りません。
この頃から社員、従業員一丸となって
長時間勤務も休日出勤もいとわず、
皆頑張って納期対応した日々が、
まるで昨日のことの様に鮮明に脳裏に甦ります。
こうして創業期の「産みの苦しみ」を乗り越えた後は、
森本プレジデントの強力なリーダーシップのもと
東京、横浜工場の立ち上げ、
電磁波シールドからUV塗装事業に本格参入、
大阪3工場、三島マザー工場、中国・東莞工場、常熟工場、
はてはタイ工場新設へと続く事業拡大・発展のベクトルは周知の通りです。
また今日の隆盛を見るにつけ、往時を知る者の一人として
正に隔世の感がありますが、いま振り返ってみます
と私がこれまで大過なく勤めてこられたのも、偏に社長をはじめ社員、
従業員の皆様ほか、良き仲間に恵まれた幸運と、
担当部署であった品質管理課および検査課の業務がそれなりに難しく、
苦しい反面やり甲斐があったことも事実です。
 またイングスの草創期には、今はない横浜本社工場、
横浜第2工場、東京町田工場に、工程改善の命題のもと
都合1年ほど出向しておりました。
いま思うに、”大海”を知ったこの経験が、
イングスに於ける私のターニングポイントであった様な気がしており
ます。人間ともすれば近視眼的になって目の前の事しか見えなくなったり、
自己中心的に成り勝ちですが、
お陰様で物事を大局的に判断する洞察力も少しは身に着いて来たかなと思っております。
 それから余談になりますが、
私は【情けは人の為にあらず】という格言が好きです。
人の気持ちを忖度して互恵の精神で物事に対処しておれば、
窮境に陥った時ほど想像だにしなかった「人の優しさ」に触れるということを
実感せずにはおられなかったからです。
僭越ながら皆さんにも、こうした事象があることを
お伝えしておきたいと思います。
 最後に、CBCとの統合を果たし
今や業界に確たる地歩を築いたCBCイングスカンパニー。
この不景況感にあって何よりも経営基磐が磐石なのは大きな強み。
将来を背負って立つ有能な人材の台頭も見られます。
これからもイングスに係られる社員、従業員の皆様は、
健康にご留意のうえ安心して明日への希望と自信を持って
アグレッシブに日々精励して頂きたいと思います。
皆さん、長い間本当にお世話になり有難うございました。