3月31日

明日は、とうとうイングス卒業式。
始まりがあれば終わりがある。
それは当り前の事だけど、
私の人生の中で一番長い時間を過ごした場所を去るのは、
やはり寂しいものだ。
自分がどんな風にその日を迎え、
4月1日の朝、どんな風に目覚めるのか、
そして、それからをどんな風に歩んでいくのか。
過去を書き換える事は出来ないけれど、
未来は未だ私の手の中にある。
イングスで過ごした日を胸に、
前を向いて歩こう。
卒業式に、さくらが咲いたね(^_^)

塞翁が馬

私がイングスに就職したのは、
財布を落としたのがきっかけだった。
学校を卒業してすぐ銀行に勤めたんだけど、
2年足らずで辞め、フリーター&ニートになった。
(引きこもりにもなった)
これじゃーあかんと、一念発起して大阪の美容学校に行った。
国家試験も受けて晴れて美容師にはなったけれど、
元々センスがないのに加えて薄給と重労働。
あっけなくノックダウン。
田舎に帰ろうと美容室を辞めたはいいが、
最後にもらったお給料(現金です)の入った財布を落としてしまった。
途方に暮れている私に声をかけてくれたのが、
その頃イングスを始めて1年目の森本社長。
(美容室のお客さんでもあった)
「うちの事務員さん辞めた所なんで、ウチに来る?」
「私、簿記できますっ!(T▽T)」
捨てる神あれば拾う神あり。
人間万事塞翁が馬
いつどんなチャンスが巡ってくるかわからない。

創業時

創業時は苦しかった。
仕事をやってもやっても終わらなくて、
夜遅くまで、土日も無しで働いて、
しかも全然儲からなくて。
毎月「今月は○百万お金が足りません」
当時の出資者にお金を借りに行って、
なんとか糊口を凌いでいた。
それが数年続いたんだけど、
CBCと出会って、そんな時代に終わりを告げた。
イングスを見出してくれたCBCの営業G部長は
イングスの恩人だと思ってる。
CBCが全額出資して、
今の平野工場へ引っ越した。
お金の心配はなくなったけれど、
仕事が忙しいのは相変わらずで、
伝票手書きも変わらずで、
現場の人達と一緒に、
毎日10時頃まで残業してたっけ。
忙しかったけれど楽しかった。
社員もバイトも皆が家族みたいで、
会社を良くしていくんだと活気に溢れていた。
伝票発行機を導入し、パソコンを購入し、
イングスが世の中に認められて、
従業員が増え、横浜に工場が出来て、
会社がどんどん大きくなっていった。
大阪工場は、第2工場を作り、第3工場を作り、
慰安旅行に行く暇も無くなる位忙しかった。
海外にも進出した。
私の大好きなイングスが大きく立派になっていくことが
嬉しくて、そして誇らしかった。

そろばん

今やパソコンは一人に1台の時代だけど、
イングス創業時は「ワープロ」の時代だった。
伝票も手書き、請求書も手書き。
むろん、売掛金/買掛金台帳も手書き。
携帯電話なんて生まれていない時代だよ。
そんなの大手以外どこも当り前だった。
一昔が10年なら、ほんの3昔前の話。
私の机の引き出しには、そろばん入っていたもんね。
(年がバレるか。もうバレてるか)

お給料

今は振り込みが当たり前だけど、
イングスが始まった頃は、
まだ現金で支払っていた。
勤怠時間はもちろん、
源泉税や社会保険料も、
一覧表を見ながら一人一人手計算をしていた時代。
お給料日には、
社長から「ご苦労さま」と
労いの言葉をかけてもらってお給料袋を受け取り、
従業員は「ありがとうございます」
と感謝の言葉を述べる。
お父さんは、そのお給料袋を持ってお家に帰り、
「お父さん、お仕事お疲れ様でした」
と、家族から労われる。
お給料日というのは、
社長と従業員、家族とお父さんにとっても
感謝し合う大切な一日だったのであります。
今は、明細がたった一枚きり。
しかも明細を持って帰る前に、
すでに振り込まれてるし。
自動引落しがセットされてると、
いつの間にか減ってるし…。
お父さんの重みも昔と比べて
軽くなってしまったかも(>_<)
イングスがお給料を振り込みに変更したのは
業績アップと共に従業員も増えたから。
銀行から現金をおろしてきて、
1円単位で人数分分けるのは結構大変な作業だし、
1ヶ月分のお給料を現金でもらった人も
ロッカーに入れっぱなしにするのは不安だしね。